No.10 日本の伝統産地が支えてきた日本の生活文化

昨日(16日)、3ヵ月ぶりに、長野県の木曽谷に行ってきました。
木曽谷の一番北、ほんの数年前までは「木曽郡楢川村」という表示でしたが、塩尻市と合併して、今では「塩尻市〇〇」という表示に変わっています。
私がこの地域に通い始めて、なんともう17年目に入りました。
去年の夏までは、毎月通っていましたので、通算すると200回は超えています。
これほど通い詰めた地域は、さすがに他にはありません。


これまでの年に比べて、今年の木曽谷は、積雪量がずいぶんと多く、それはそれは美しい世界でした。
幹線道路以外は、山の上から平地まで、完全に雪に覆われています。
東京のように、すぐに溶ける雪ではないので、同じ雪景色とは思えない、気持ちが吸い込まれるような白銀世界でした。
天気が良かったせいでしょうか、寒ささえなければ、そのまま抱かれていたいと思うほど、自然の大きさ、力強さを感じました。


この楢川村と呼ばれた所に、平沢という地域があります。
昔から続く、漆器を主な生業とする地域です。
日本のお蕎麦屋さんが、漆塗りの器や、お盆を使っている頃は、そうした道具の90%ぐらいはこの平沢で作っていたそうです。


実は今、この平沢も含んで、日本中の伝統的な産地で作られる商品の出荷量が、何年にもわたって減少し続けています。
世界に、その名がとどろいていた九州の「有田焼・伊万里焼」なども、出荷量は最盛期の半分以下だと聞きました。
なぜ、こうした日本人の生活文化を支えてきた産地の出荷量が減ったのか?
一番の原因は、肝心の日本人自身が、こうした日本の伝統産地で作られる、私たちの生活文化を支えてきたものを買わなくなったことです。


日本の食糧自給率は、約40%前後と発表されています。
この数字が正しいかどうかには大きな疑問が残りますが、仮にこの数字が正しいと仮定した場合、なぜ低いかが問題です。
ところが、どうしたら自給率を上げられるかについて、メディアを通じて流れてくるのは、常に生産者側の問題だけです。
実は、流通と消費側に大きな問題があるのにもかかわらずです。


食品の場合、大手商社が海外の食品をどんどん輸入し、それが大手量販店の店頭に安く並ぶ、まずはここに問題があることを忘れるわけにはいきません。
そして、消費者が、安さにつられてか、それを買って、輸入品の増加に加担しています。
それがそのまま、食糧自給率の低下につながっていることは否定できないことです。


ところが一方には、日本は、毎年食糧を1900万トンも捨てているという現実があります。
この数字は、世界の飢餓を救うことができる数字だと聞いたことがあります。
これを見て、何かおかしいと思いませんか?
私は、おかしいと思っています。
一見、極論に思えるかもしれませんが、日本国民の皆が、なにはともあれ日本国内で生産された食品を買う、それを余らせず使い切る。
それでも、どうしても足りない食品だけ輸入品を買ってまかなう、これで食糧自給率がどう変わるか、見ものです。
劇的に向上するのは、目に見えているのではないでしょうか。


漆器、陶磁器などの場合も同じです。
こんなに優れた漆器や陶磁器が、長年日本国内の産地で作られているのに、ただ安いというだけで、1個100円の輸入食器を買う。
その結果、日本の日常の生活文化を支え続けてきた日本の伝統産地からの出荷量が減少し、生産量が減り、産地が疲弊して行くのです。
合わせて、日本の生活文化まで消えていってしまうのです。
なんかおかしいと思いませんか?
現代の日本人のライフスタイルに合わないから買わない、という意見を聞いたことがあります。
そうなのかな? 私は今でも疑問に思っています。


国際化が叫ばれ、様々な国との交流が盛んになるのは、大変良いことだと思います。
しかし、真の国際人というのは、自分のアイデンティティをしっかりと持っていなければならないはずです。
つまり、日本人として、日本の文化をしっかりと身に着けていることが、国際人の条件であるはずです。
日本を語れる、日本の生活文化が身についている、日本人としての立ち居振る舞いが身についている。
日本の文化に誇りを持っているからこそ、違う国の文化を認め、理解し、尊重できる、こういうことなのではないでしょうか。


問題が起きた時、優れた人たちは、まず自分の足元を見ろ、自分の足元から問題の解決をしろと教えてくれます。
インターネットというIT技術が登場して、世界はますますせまくなってきました。
だからこそ今、日々の生活で、私たちの生活文化をしっかりと確認できるよう、しっかりと意識することが大切なのではないでしょうか。


日本の伝統産地に行く意味の一つに、こうしたことを、しっかりと思い出させてくれることがあります。
私たちの国は、本当に素敵な国です。

No.9 集団の中での個人のあり様

私は、ある消費者団体に加入しています。
数年前から、ただのメンバーではなく、もう少しきちんと意見を表明できる立場になりました。
初めての会議に出席した時、周りを見回してみましたが、私以外には男性はいませんでした。
少々、いやかなり気おくれしましたが、「何事にも始めてという時はある」と、自分に言い聞かせました。
以後4年間、一度も欠席することなく参加しています。


殆ど発言しない人も結構いらっしゃいますが、非常に活発に発言する人も、沢山おられます。
最初の一年が終わる頃になると、発言者の発言姿勢は、いくつかの種類に分類されることが分かってきました。
大きく分けると二つだと、私には思えました。


一つは、互いに知恵を出し合い、可能な限り良い答えを見つけ出そうという姿勢で意見を述べる人たち。
もう一つは、自分の言いたいことを言い続ける人たち。


前者の姿勢には、私も大変納得していますし、私もこうした姿勢で発言し続けています。
問題は後者です。
なぜそうなるのか、直接聞かないと分かりませんので、一度聞いてみました。
どうも「ご自分の考えていることが正しい」、これが根底にあるように感じました。
正しいとか、間違っているとかが、そんなに簡単に割り切れることなのかな、と思ったので、「10人いれば、10通りの考えがあるのではないですか?互いに人の考えを聞いて、よりよい答えを見つける努力をしたらよいのではないですか?」と問いかけてみました。


「自分が考えていることが正しいのに、なぜそんなことをしなければいけないの?」といった返事が返ってきました。
エッ!本当!こんなに自信がある人っていたんだ。これってすご過ぎだよな、と感じながら、エッカーマンが書いた「ゲーテとの対話」に書かれている、ある個所を思い出しました。
ゲーテがエッカーマンに助言を与えた箇所の一つです。


「そういう君の癖は、もちろん社交的なものではない。けれども、もし自分の生まれつきの傾向を克服しようと努めないのなら、教養などというものは、そもそも何のためにあるというのかね。他人を自分に同調させようなどと望むのは、そもそも馬鹿げた話だよ。(中略)私は人間というものを、自立的な個人としてのみ、いつも見てきた。そういう個人を探求し、その独自性を知ろうと努力してきたが、それ以外の同情を彼らから得ようなどとは、まるっきり望んでもみなかった。だから現在ではどんな人間とも付き合うことができるようになったわけだが、またそれによってのみ、はじめて多種多様な性格を知ることもできたし、人生に必要な能力を身につけることもできたのだ。性に合わない人たちと付き合ってこそ、うまくやって行くために自制しなければならないし、それを通して、われわれの心の中にあるいろいろ違った側面が刺激されて、発展し完成するのであって、やがて、誰とぶつかってもびくともしないようになるわけだ。君も、そういうふうにするべきだね。君には、自分が思い込んでいる以上に、その素質があるのだよ。」(エッカーマン著、山下肇訳『ゲーテとの対話』岩波書店)


私自身、こうした賢人が残した言葉を、今でも何度も読み返しています。
不完全で至らない自分の「糧」にしています。
「自分の考えが正しい、なのになぜそうならないの?」という「自分の殻」から飛び出してみたら、今までとは違う自分が見えてきますし、それが楽しみになり始め、またその楽しみを味わいたくなります。
それを知ってしまったから、また、賢人が残した言葉に触れたくなるのかもしれませんね。

No.8 プロの健康管理…プロから学ぶ

昨日(3日)、ひょんな縁で、プロの方々のコンサートにご一緒させていただきました。
もちろん、いきなり本番出演というわけではありません。
本番までの約1ヵ月間、足手まといにならないようにと、小学生に戻ったような気持ちで、プロの一挙手一投足、どんな些細なことも見逃さないようにと気持ちを研ぎ澄まし、集中して、様々なことを吸収しながら、一緒に練習させていただきました。


初めての練習の時、プロの発声をま近かで聴き、声の張り、美しさ、ボリューム、つや、伸びなどに、ただただ驚くばかりでした。きっとこの方たちの身体全体が音響装置なんだ、自分とは根本的に違うんだと、つい思ってしまったほどです。正直言って、プロの発声には、それほど度肝を抜かれました。
しかし、話している時は「普通の声」なのですから、どうしたらこんな素敵な声が出せるのか、やはり知りたくなってきます。
私よりずっと小柄で、スリムな身体から、うっとりさせられる素晴らしく美しい声が出てくるのです。
魅了されましたし、圧倒もされましたが、やはりわけを知りたくなります。


この声の素晴らしさ、美しさは、もちろん長年の精進のお蔭なのでしょう。
しかし、一体どんな練習をし続けたら、どんな訓練をし続けたら、こんな美しい張りのある声が出るようになるのでしょう。
そんなことを思いながら、私が一番強く引きつけられたことは、毎回スタート前の皆さんが個々に行う準備です。
みなさん個々に入念な準備をなさっています。身体を動かしています。
全員の発声練習が始まっても、声を出しながら行っている身体の準備運動(?)は、結構人によって違うんです。
しかし、どの方の動きも、よく見るとご自分の身体を柔軟にする動きであることが分かります。
最初の時は一瞬、「ちょっと待てよ、これから歌を歌うんだよな、運動するんじゃないよな」、といった印象を持ちましたが、すぐさま私の気持ちは、「身体を柔らかくすることと、発声の関係」への好奇心へと変わりました。
プロ野球のイチローさんが、ほんのちょっとの合間に、必ず体をほぐす動きをしていますが、それとそっくりの動きをされている方もいらっしゃるのです。
全身柔らかくして、身体がリラックスした状態で、全身を使って声を出す、ということだと聞かされました。


コンサート終了後の打ち上げをかねた食事会にもご一緒させていただきましたが、やはり想像した通り、皆さんしっかりと召し上がります。しかし、見事なぐらい、適量で止まります。
やはりプロの体調管理意識はすごいですね。


全身を使って声を出す、だから健康な身体を作り上げることに気を配っているのだと、私には見えました。
ビューティーコンテストに出場する人たちのトレーナーが、「美しくなるためには、正しい食事が一番の基本よ」と言って、トレーニングを行っていたことを思い出します。


どんな世界でも、身体を使うプロは、さずがに「すべては食事が基本」であることを当然のこととして実践しています。芯から健康な身体を作り、その上で「身体を正しく使う」ということなのでしょう。


これまでも、プロと付き合うたびに、いろいろと教えられましたが、中でも「プロは決して基本をおろそかにしない」、これはどんなジャンルのプロからも聞かされたことで、最も記憶に残っています。
この言葉を噛みしめながら、アマチュアを観察すると、自信たっぷりなアマチュアほど、基本をおろそかにすることが多い。
そんな現実が見えてきます。


近年、日本はプロとアマの境界線があいまいになっていると聞きますが、そうではないことをしっかりと確認できました。
やはり、プロとアマチュアは全く違いますね。
結局、多くのアマチュアが、自分とプロとの距離に気が付かないだけなのでしょう。
そして、プロから学ぼうとしなくなっただけなのかもしれませんね。
欲がないのかもしれません。
プロから学ばないなんて、私はものすごくもったいないと思うのですが、そうは思わない方が増えたのでしょうか。是非、原因を知りたいものです。


プロからは、学ぶこと、教えられること、本当に沢山あります。
プロフィール

岡山晄生

Author:岡山晄生
--Okayama Akio----------
株式会社リバーライト代表
調理道具研究家・家庭料理アドバイザーとして講演・執筆活動なども行なっている。著書に『料理のきほん食の常識』(グラフ社)等


料理の基本/食の常識
アマゾンにて取扱い

リンク