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No.19 一年ぶりの奈良井宿

私は昨年春まで17年間、毎月一回、一泊二日のスケジュールで、木曽谷に通い続けました。
もちろん、観光ではありません。
仕事です。


良い自然環境の原点は「健康な森林」にあるのですが、森を健康にするには、樹木の根元まで太陽の日が差し込むようにする必要があります。
最初、植林する時は、木と木の間隔って、けっこう狭いのだなと感じました。
「木は太陽の光を少しでも沢山受けようとします。つまり、木と木が競争します。
この競争が、木を成長させるのは必要なんです。」と教えられました。


しかし、木が大きく成長してくると、今度は密生し過ぎて太陽の光が地面まで届かなくなります。
これでは、木の成長は遅くなりますし、なかなか太くならないのだそうです。
そこで、「間伐」を行って、木の数を減らします。
すると、残った木は大きく、太く成長してゆくのだそうです。
大きく、太く成長するということは、森の二酸化炭素吸収力も大きくなりますね。


しかし、こうやって間伐しても、肝心の間伐材をお金に替えることが出来なかったら、間伐にも費用が掛かりますから、森の持ち主は間伐できなくなってしまいます。
間伐材を使って、多くの方の生活に役立つ「モノ」を作ることが出来たら、良い循環がうまれるのだけどな、と思い、そうしたことのお手伝いのため、長年木曽谷に通い続けています。


仕事が終わってから泊まるのは、毎回殆ど奈良井宿の民宿です。
それも、「常に同じ民宿」です。
江戸時代のままといった、風情のある民宿に泊まります。
この奈良井宿は、江戸時代のままの建築が連なる「景観保護地区」に指定された宿場町ですが、地域の方は皆さんここに住んで生活しています。
ですから、観光地と言っても、どこか普段のままといった、飾らない雰囲気があります。
だからでしょうか、春や秋の週末ともなると、民宿に泊まる観光客が、たった一本の通りを、ゆっくりと歩き回っています。
皆さん、せかせかせず、漂う空気に身を委ねているといった感じです。
外国からの旅行者も、こうした民宿をしっかりと楽しんでいます。
馬篭や妻籠のようにごった返すこともなく、時間もゆったりと過ぎて行く、去年まではそんな宿場町でした。


NHKの朝ドラ、「おひさま」が大きなきっかけになったのでしょうか、それとも、観光バスがどんどん乗り付けられるように駐車場など、さまざまな整備したからでしょうか、お客の流れ方が大きく変わってきたように感じます。
買い物をするお客様、お店でお茶を頂くお客様の多くが、1時間でさっと見物してバスに戻るという動き方をします。
バスツアーの場合は、きっとあちこちを短時間で回るようにスケジュールを組むのでしょう。
私のように、知り合いになったお店で、ゆっくりお茶を飲んだり、お店の主と話し込んだりするお客は、大人数で一気に押しかけ、時間がくるとさっといなくなる、あのせわしない雰囲気には、ただただ戸惑うばかりです。
時には、せっかくの雰囲気がぶち壊しといった感じさえします。


どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
この方が、この宿場町にお金が沢山落ちるのでしょうか。
なんか違うな、違和感があるな、観光バスから降りてくる人、本当に満足しているのかな?
旅行から家に戻って、満足感を持てるのかな。
いろいろな思いがめぐってきます。
こんな状態がエスカレートしたら、これまで長年、奈良井宿が大好きで、何度も足を運んできた良い顧客が逃げてしまうかもしれない。


あるがままの「奈良井宿」にひたって、奈良井の人との交流を楽しんできたリピーターの居場所がなくならないことを願うばかりです。
こういう場所に来る人は、この地域とのコミュニケーションを楽しみにやってきます。
決して建物や、街並みだけを見るためにやってくるののでなければ、買い物だけを目的に来るのでもありません。
自然、歴史、宿場町のたたずまい、そこで生活する人、その全てと付き合うために、何度も訪ねて来ている筈です。
自分が泊まる宿も決まってきます。
「私の定宿」が出来るのです。


観光地化を推進することで、実は観光地としての魅力が消えてしまう。
こうしたことに気づかない「観光推進」、どうやら日本のいたるところあるようですね。
人を引き付ける土地の魅力、地域の魅力、その土地の人の魅力、それらが一体どこから来るものなのか、何か大切なことが見えなくなっているのではないでしょうか。


人の力は、自然の前ではおそろしいほどに無力です。
ですから人間が自然を受け入れて、自然に合わせるように変わって行かなければいけないのです。
そうして営々と築き上げてきた地域の持ち味、もっと優しい気持ちになって、大切にしたいものです。


今回はこの季節ですから、飛来した燕が沢山飛び交っていましたし、道に舞い降り、歩いてもいました。
まだ、間に合うと思いながら、東京に戻ってきました。
次回はどんな奈良井宿になっているでしょうか。
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No.18 映画の話し

映画会社で働く方から、面白いというか、悩ましいというか、思わず考え込まずにはいられない話を聞きました。
日本の映画産業は、不況産業と言われて久しいですが、テレビだけでなくインターネットが普及したこともあってか、益々そうした傾向が強くなっているそうです。


伺った話の中でも、特に私が気になったことは、近年、若い人たちの中に、邦画は観るけれど洋画を観ないという傾向が強く見られる、という話です。
優れた邦画を観ることは、もちろん年齢に関係なく良いことだと思います。
しかしそれは映画に限ったことではなく、どんなジャンルに関しても言えることのはずです。
人が、絵画、彫刻、書、書籍などの優れた作品を見たり、読んだり、あるいは優れた音楽を聴いたりすることは、豊かな感性を育てることにつながるだけでなく、心も豊かになるでしょうし、時には心が鍛えられるでしょうし、勇気が湧くこともあるでしょうし、素晴らしいことだと思います。


しかし、若い人たちが邦画は観るけれど、洋画は観ない、そういった傾向が強いのには、当然それなりの理由があるのだろうと思います。
どんな理由があるのか、大変気になりました。


そして、理由を聞いて、私は思わず考え込まされてしまいました。
洋画を観ない理由は、「字幕が追えないから」だそうです。
吹き替えならば観るということなんですね。
これを聞いて、私は絶句するしかありませんでした。


外国の映画のセリフを日本語に翻訳し、字幕に表す『翻訳家』は、もちろん丁寧に原文を読み込んだ上で、作品も何度も観て、作者が観客に何を伝えようと考えているのか、監督が観客に伝えたいことは何なのかを、しっかりと受け止めた上で、映画を観ている人たちが一目で分かるよう、それぞれのセリフをほんの10数文字の日本語に凝縮するのです。
これが、映画の世界で、外国語のセリフを日本語字幕へと翻訳する方の仕事です。
普通の翻訳とは次元が違います。
私は、この仕事を行っている方は、まさにプロ中のプロ、言葉の天才だと思っています。
ところがなんと、今やこの10数文字を追えない「日本人」が、この国に出現してきた、この事実を知らされてしまいました。


これは教育の劣化なのか、個人個人の向上心の欠如に原因があるのか、それとももっと他に理由があるのか、ちょっとちょっと、これはなんとかしないとまずいんじゃないのかい? と思った次第です。


国内では数年来、格差の拡大が問題視されています。
勿論、大至急なんとかしなければいけないと思います。
政治家が解決しなければならない、最重要課題の一つだと、私は思っています。
一方で、10数文字の字幕が追えない「個人」をそのままにしていてはいけないとも思います。
私達個人個人が、自分のスキルアップにおいて、決して努力を怠るようなことがあってはならない、こう思っています。


この程度のことが出来ない、あるいはクリアしようとしない人たちの出現を、黙って見過ごしてしまうのは、どう考えてもまずいのではないでしょうか。 私は話を聞きながら、このように思いました。











プロフィール

岡山晄生

Author:岡山晄生
--Okayama Akio----------
株式会社リバーライト代表
調理道具研究家・家庭料理アドバイザーとして講演・執筆活動なども行なっている。著書に『料理のきほん食の常識』(グラフ社)等


料理の基本/食の常識
アマゾンにて取扱い

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